FC2ブログ

 
或る浪人の手記

人気blogランキング にほんブログ村 政治ブログへ FC2ランキングへ ヲシテ町へ
べ、別にあんたのために書いてるんじゃないんだからね!ま、まあ、どうしてもって言うなら、ちょっとだけ読んでいってもいいけど…なツンデレ系時事ブログ
ブックマークに追加する
最新の記事

      全ての記事を表示する

トップ自エンド → 金子一義国土交通大臣(笑)

金子一義国土交通大臣(笑)
人気blogランキングへにほんブログ村 政治ブログへFC2ランキングへ

金子氏が国交相就任 皇居で認証式

 辞任した中山成彬前国土交通相の後任に決まった金子一義元行政改革担当相は29日午前、皇居での認証式を経て正式に閣僚に就任した。この後、麻生太郎首相が官邸で国土交通相の辞令を交付。

 中山氏が28日、日教組批判など一連の問題発言の責任を取り辞任したのを受け、首相は道路特定財源の一般財源化に取り組むことができる税制通として金子氏を後任に選んだ。

 金子氏は小泉内閣の行政改革担当相に続き2度目の入閣。建設政務次官、自民党建設部会長を務めた経験もある。

(2008年09月29日 共同通信)

 はい、(笑)とか付けている時点でお分かりかと思いますが、またまた素晴らしいクズのご登場です。

 まず、古賀派の副会長。

 この時点で人間のクズ臭がプンプンする事がお分かり頂けるかと思います。

 更に、北朝鮮との国交正常化実現を目指す議員連盟、自民党朝鮮半島問題小委員会の立ち上げメンバーの一人で、副委員長に就任しています。

 そうです、またキムチです。

 ちなみに、今現在は古賀派ですが、過去においては加藤派、バ加藤紘一さんの派閥に所属していた事もあり、20世紀最後の茶番として有名な「加藤の乱」に参加していた、というステキな経歴もお持ちです。

 まあ、バ加藤さんとは違って多少は空気が読めるようで、その後、加藤派を離脱して堀内派へと移り、国賊・小泉チョン一郎に取り入る事で国務大臣、内閣府特命担当大臣(規制改革、産業再生機構担当)として初入閣。

 更に、郵政民営化に賛成に回り、同法案に反対し自民非公認となった藤井孝男氏を破り郵政選挙にて当選。

 この時、当時の岐阜県連会長であった古屋圭司氏も自民党を追放になった為、同県連の会長にまでのし上がっている。

 立派な小泉一派の一員です。

 更にこのキムチ、何と、新興カルト宗教・崇教真光の秋季大祭に2001年から2007年まで連続しての出席という記録まで叩き出しています。

 以下、真光を知らない人の為に、奪回した元信者さんのブログから引用。

崇教真光のホームページに見られる表現「真光の業は病気を治すという業ではありません」について

勉強会で、インターネットは邪霊に操られているので嘘でいっぱい、といった類いの説明を幹部がしているのを聞いたことがありますし、ネットでも、「幹部によっては口頭で『インターネット上の情報はほとんど(9割)が嘘』などと教えている」との声がありました。〔注1〕 教団がコントロールできないインターネットを邪霊視して、インターネットから信者(組み手)を遠ざけておくというのも、信者を己の情報統制下に置いておきたい教団の意図の現れだったと見てよいでしょう。

長い間信者にインターネットに関わらないよう牽制し、自身もインターネットを拒否していた崇教真光も、ついに今年(2007)2月にホームページを立ち上げました。ところが、このホームページ、あれこれと問題を見せています。そのうちの一つ、「真光の業は病気を治すという業ではありません」とあることを取り上げてみます。

ネットで次のような書き込みがありました。
 
 真光が誤摩化し教団だというのは、例えば崇教真光の公式ホームページを見ればわかる。
 「真光の業」の項目で「病気を治すという業ではありません」と書いてあります。

 これは教団が「表向き」言っている事と同様です。
 しかしQ&Aの質問1を見てみましょう。

 「早い人は数回の手かざしで、長年苦しんだ胃腸病などが良くなっています。また、切り傷などの外傷も、手かざしで嘘のように元通りになっています。」

 これが病気治しではないという手かざしの説明なのでしょうか。

 医師法違反にならぬよう表向きは「病気治しではない」といいながら実は病気治しを宣伝しているのですよ。
 
 これは詐欺師の良く使う手法です。  ーー真光関係者集合(50)ー305


何時頃だったのか、お導き(人を真光に勧誘すること)の際、「手かざし(お浄め)で病気が治りますよ、とは言うな」との幹部の指示がありました。医師法違反を避けるためでした。医師の資格がないので、診断してもいけない、とのことでした。やがて、道場に「真光の業は病気を治すという業ではありません」との旨の張り紙が掲げられるようになりました。こうして、真光の業に関して、「表向き」の表現が出て来ました。「真光の業は病気治しの業ではありません」との断り書きは、病気が治らなかった場合の言い逃れとも聞こえました。

崇教真光の初期の頃の小さいパンフレット、「愛の光ー幸せへの招待」を見ると、『おわりに』のページが次の文で始まります。

 ”真光の業”は、単に病気を治す業ではありません。また、一時的な、その場限りの救いを与えるものでもありません。〔注2〕

「編集責任 崇教真光」とあります。岡田光玉(良一)の死後、世界真光文明教団の二代教え主の座に恵珠を就けることに失敗した恵珠派は、光玉の設立した教団を離れ、1978年に崇教真光を設立しました。このパンフレットはそれ以後の発行物ということになります。「真光の業(=手かざし、お浄め)は病気治しの業ではありません」との表現と比べると、「単に」がはいっているだけのように見えますが、この「単に」が入っているか、いないか、で意味が全く違ってきます。

「単に」とあることにより、「病気が治る」ことを一見ありきたりの、小さな出来事であると感じさせ、「病気が治る」こと以外にも効用があるのだ、という示唆です。病気に関して見れば、このパンフレットでは、崇教真光は「真光の業は病気を治す業である」ことをごく当たり前のことであるかのように肯定していたと言えます。

この初期の頃のパンフレットより後の発行(1989年)の『崇教真光30年史』のp42には次の文があります。

 「真光の業」は只単に病気治しや、憑霊を取り祓う霊媒信仰ではなく、治病現象、家庭の不和の解消、経済的救われ等々、あらゆる奇跡的現象を通して霊魂の実在を認識させ、「神は光なりき」を証し、そして神様の御実在を体感させるものであります。

<只単に病気治しではない>と言っていますから、崇教真光の初期の頃のパンフレットと同様、「真光の業」の効用に病気治しを含めています。「治病現象、家庭の不和の解消、経済的救われ等々、あらゆる奇跡的現象」と並べて、「病気治し」の面を小さく見せることによって、さっと通り過ぎていくような感じがなぜかします。

病気治しという点を中心に取り上げてみると、<「真光の業」は只単に病気治しではなく、治病現象等、あらゆる奇跡的現象を通して霊魂の実在を認識させ...>となります。

もっと簡単に言えば、真光の業で病気が治るといった『奇跡的現象』によって、霊魂や神の実在が認識、体感できる、という主張です。「真光の業で病気が治るといった奇跡的現象が起きる」ということが前提であって、そういった現象が起きなかった場合のことはここでは考慮にはいっていません。まるで「治病現象を初めとする、あらゆる奇跡的現象」が日常茶飯事であり、起きなかった場合など、考えなくていいかのようです。しかし、実際はどうでしょうか。そんなに頻繁に起こっていることなのでしょうか。それに、真光の業で病気が治るといった『奇跡的現象』を通して、霊魂や神の実在を認識、体感させる、というのであれば、病気が治るといった『奇跡的現象』が起きない場合には、真光の業では、霊魂、神の実在を体感させることはできない、ということにもなります。

病気が治るといったような『奇跡的現象』がなければ、真光の甘い言葉ー人類救済、人類幸福化、無病化、愛和、利他愛、神の大愛、神の子、等ーに誘われて真光をやったところで、『神の光』とやらが、教団の主張するように手から出ているとひたすら信じて、この手かざしで人類救済の役に立っているのだ、との集団錯覚に巻き込まれるだけになってしまいます。

ですから、真光をやれば、病気が治るといったような奇跡的現象、信じられない現象が起こると主張して、真光をやる価値がある、と思わせねばなりません。それで、『奇跡体験談』の役割が重要になってきます。ところが、ホームページのように「真光の業は病気を治すという業ではありません」との完全な否定文が来ると、病気で苦しむ人は真光の業に期待しないほうがよい、ということになるでしょう。実際、『奇跡的現象』『信じられない現象』が起こっていると聞いて真光にはいっても、症状が良くならず、「真光の業は病気治しの業ではありません」と冷たくあしらわれた人々もいるのですから。

病気が治るといったような奇跡的現象の話があったとしても、広い現実世界でそれらがどこまで通用する話なのか、大いに疑問です。大ざっぱに問題点をあげてみます。

奇跡的に病気が治った、いや治らなかった、ということに関する客観的データがないことが一つの問題。さらに、個人が真光のおかげで病気が治った、と信じて疑わない場合でも、病気が治ったことが、真光の業によるものかどうか、客観的な判断は非常に難しい、という問題があります。さらに、過去50年近くの間に真光をやった、とにかくお浄めを受けた、と思われる幾十万、幾百万という人の、ごく一部に治病現象が起こったからといって、それをもって、真光の業が、神・霊魂の実在を証明するものになるのか、という問題。こういった問題がある以上、「真光の業で治病現象が起こる、治病現象が起こるから、霊魂の実在が証明され、神は光なりが証明される」という主張は実は非常に根拠の薄弱な主張なのです。

その上、これまでにも指摘しましたが、真光は事実を忠実に、正確に伝えることには関心がない、ということがあります。個人の体験談においても、然り、です。こじつけでも、誇張・誇大化されたものでも、教団の編集の手が加わったものでも、さらには捏造されたものでも、一般組み手(信者)にはわかりませんし、確かめようがありません。そもそも教団の言うことは疑わないよう、信者は仕向けられているのです。教団の発表する「奇跡体験談」をそのまま「本当のこと」として受け入れてしまいます。『真光の業がいかに素晴らしいか』を教団や信者が語る時、このようなことも考慮に入れて聞く必要があります。

真光が宣伝する『奇跡的現象』について、情報統制下にある真光の世界の外の、現実世界から見たときの見解として、ネットでいろいろ参考になる書き込みがありました。ほんの一部ですが、ここにちょっと部分抜粋しておきましょう。

大勢の信者の中から、「御利益が在った」、「救われた」人間を拾い出し、それを「宣伝」に使い、「教えを盲信し、悲惨な結果に至った人間」は、「切り捨て」たり、「信心が足りない」などといい、
 「苦しんでいる人間の傷口に塩を刷り込む」ような真似をしますからインチキと言われて当然の理ですな。 ーー真光関係者集合(44)ー596

 「あるある」みたいに捏造された奇跡体験談ばっか聞かされて
 妄想に浸っているけど、それは現実じゃない。  ーー真光関係者集合(44)ー944

 その(=奇跡の)確率は普通社会と同じなのですが、「真光のおかげだ」と言い、クローズアップさせることでそう思わせてるだけ。ーー真光関係者集合(44)?945

 奇跡というより統計のトリック。
 大勢人が居れば、良いことが起きたり、病気が治ったり、偶然が重なって不思議みたいに思えることは、必ず誰かが体験している。そういうのだけを取り上げ、あたかもあちこちで毎日起きてるかのごとく誇張する。
 こんなのどこの新興宗教団体もやってるトリック。  ーー真光関係者集合(44)ー946

真光を信じて、努力したけど、病気が治らず、死亡した例は決して少なくありません。ネットでもそのような例が話されています。「病気が治るといった奇跡的現象が真光の業では起きなかった」場合です。

『奇跡』が起こらず、亡くなっていった「組み手」の話など、教団は発表しません。安らかに『幽界誕生した(=亡くなった)』とか、あの世に行ってから、浮霊現象を通して、霊が御礼を言って来た、などといった類いの話なら別ですが。しかし、これらの話もまた、確かめようがありません。にもかかわらず、こういう話を聞くと、信者は本当のことだと信じ込んでしまい、感動さえして、「真光は本物」との信念を更に固めていきます。

真光をやれば、『奇跡的現象』『信じられないこと』が起きると謳って人集めをするわけですから、教団の取り上げるのは、『奇跡体験談』が主になります。真光の業が効果なかったという話はそのまま闇に葬られていきます。せいぜい、真光流の理屈で説明できるように思わされるぐらいで、真光の業そのものや真光の教えへの疑問は考えないように仕向けられます。真光の中にいると、その辺のことが見えなくなります。運良く病気が治ったら、「真光(の業)のおかげです」と信者に言わせ、症状が改善しなくても、悪化しても、最終的に亡くなっても、「真光の業は病気治しの業ではない」と言い逃れる仕組みがあるのです。



 〔注1〕『ココが変!真光の本!』( http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3760/1137721826/ )より
 506ーー「崇教真光の教団誌に見られるインターネットへの見解」が紹介され、<注>が付け加えられています。
 <注>教団誌において、インターネット上の情報を指して「流されることなく、正しく選別し」とか、「悪い方向に導くものがある」とか、「霊的に判断するように」などと、信者に訴えている。
 教団に対する批判情報、暴露情報に対して遠まわしに牽制している様子がうかがえる。幹部によっては口頭で、「インターネット上の情報はほとんど(9割)が嘘」などと教えている。

 62ーー61の「崇教では、インターネットを見るなとは一切言っていない」との書き込みに対し---
 今さら、「インターネットは見るなとは一切いってない」って???
 しょせん、コロコロ変わる玉虫色のご教示や教えや。そんなテキトーな御託、何も信じられへんて。

 インターネットがまだ今ほど普及してないころ「インターネットは邪霊の仕業。陰(イン)がつくから」とも
 また、インターネットだけでなく「テレビも見るな、一般の本も見るな、また他宗教の本を見たり、調べたりするのは絶対ダメ!サヤられる」とも言われた。
 (宗教関係の本を遠ざけようとしたのは、<<真光の悪の本性>>がバレてしまうからか?笑)

 ネットのこと、薬を飲むなと言ったこと、化学療法を否定したこと、教祖の素性を隠蔽したこと、教えと業をパクってきたこと..etc
 過去のことはみ~んな全く無かったことのように「今はそんなこと言ってない」と嘯く教団のいうことなんて、誰が信じるか。
 たとえ今は言ってなくても、『過去に一度でも断言して言って、多くの人を惑わしたことに”罪”がある』のだ。
 これは、泥棒をした者が過去の罪を詫び償いもせず「前はやったけど、今はしていないしー」と開き直ってるのと同じ。
 どうせ言うなら、いい訳ではなく、まずは過去のお詫びと訂正と償いが先でしょ。

 〔注2〕ホームページには「真光の業は、病気を治すという業ではありません。また、一時的なその場限りの救いを与えるものでもありません」とあります。これと「愛の光」からの引用文と比べてみてください。前半の文については本文内で扱いました。後半の文は二者共に全く同じです。この後半の文についてですが、『一時的な、その場限りの救い』と『一時的でなく、その場限りでない救い』との違いは何なのでしょう。どうやって区別するのでしょうか。「肩が楽になったり、職場の人間関係が良くなったり、事業が順調に運ぶようになったり..と、次々と信じられないことが起きてきたのです」と言っていますが、これらの例は皆、『一時的でなく、その場限りでない救い』になるのでしょうか。もしそうなら、楽になった肩は楽になったままでいるはず、ということになりませんか。職場の人間関係が良くなった、事業が順調に運ぶようになった、などというのも永続的な救いであれば、以後、人間関係にも、事業にも困らないはずになります。「いや、そういうことではない」というのであれば、「(真光の業は)一時的な、その場限りの救いを与えるものでもありません」との主張は、実質的な意味を持ちませんし、「肩が楽になったり、...と、次々と信じられないことが起きてきたのです」との主張とも相互関係がないことになります。中味のないものをあたかも中味があるように粉飾し、人々の気を引こうとしていると解釈してよいのではないでしょうか。

(「After Mahikari... 真光を離れて」より)

 古賀派でキムチ関係者で小泉一派でカルト信者。

 それが、この度国土交通大臣に就任された金子一義さんです。

 麻生内閣、全てにおいてやる気ゼロという事が、そろそろハッキリしてきたような気がします。

人気ブログランキングへ←真実を広め、祖国を国難から救う為、清き1票を
にほんブログ村 政治ブログへ←出来ればこちらへも愛の一票を
FC2ランキングへ←更なるアジア的優しさの注入はこちら
woshitecityへ←ヲシテ町へ行ってみる

Q&A 宗教トラブル110番―しのびよるカルト (110番シリーズ)
山口 広 紀藤 正樹 滝本 太郎
民事法研究会
売り上げランキング: 213771
おすすめ度の平均: 5.0
5 大切なことを気付かせてくれる貴重な1冊です
5 宗教トラブルにはこの一冊

カルトにハマる11の動機―オウム真理教古参信徒が実例で証明
加納 秀一
アストラ
売り上げランキング: 124742
おすすめ度の平均: 4.5
4 おもしろい。
5 オウム関連書籍の中で最も面白い


PR情報
3ヶ月基本料金0円!ドメイン取得料金0円!Speever
キレイになりたい女性のためのSNS!キレイナビ
スポンサーサイト





南京の真実

ブックマークに追加する
何ですか、今の政治家は、どこぞの宗教団体に所属しておかないと、認められないとか言うマニュアルでも存在するのでしょうか?
根底の中には本気で国を思い、寝る間も惜しんで尽くしていらっしゃる方もいるのでしょうが、そういう方達には一切日が当たる事なく、自分の利益と自尊心(と言う物があるのかどうかさえも不明ですが)の事しか考えない人間達の所業によって、確実に破滅へと歩みを進める…。哀しいですね…。
自民党・ミンス党の、アホ丸出しのテレビコマーシャルを観る度に、吐き気を催すのは私だけではないはずです。
2008/09/30(火) | URL | 蓮REN #-[ 編集]
某カルト政党なんかを見ればお分かりになると思いますが、宗教団体というのは、とても巨大な集票マシーンなんですよ。

所謂「どぶ板」をやるよりも、ずっと楽に多くの票を集める事が出来るんです。

この状況を打破する為には、投票率を上げる、それしか無いんです。

何処かのバカウヨ集団のように、「創価は悪の組織ィィィィィ!!!」とか喚きながらホルホルしているだけでは、一切、何の意味も成さないんです。

とっくに司法で解決した問題を、何の証拠も無しに追いかけている暇があるのなら、頭を下げてでも投票所に行ってくれるように懇願した方が、遙かにカルトにとってはダメージが大きいんです。

ただ選挙に行く。

それだけの事にどれだけの意味が、力があるのか、日本人は気付かないといけません。

そう強く思います。
2008/10/01(水) | URL | 浪人 #W3U1vwxw[ 編集]
URL
コメント
パスワード
秘密
管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバックURLはこちら
http://restororation.blog37.fc2.com/tb.php/1407-fea60829