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学びて思わざれば、則ち罔し、思いて学ばざれば、則ち殆し
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国旗・国歌 ここまでやらずとも

 桜のつぼみがふくらむこの時期は、卒業式の季節だ。先生や親に感謝し、新しい出発に胸をふくらませる。それぞれに思い出があるだろう。

 ところが、東京の都立学校ではここ数年、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いている。国旗と国歌をめぐって大勢の教職員が処分されてきたからだ。

 私たちは社説で、処分してまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し指摘してきた。しかし、東京都教育委員会の姿勢は強硬になるばかりだ。

 先週末、都立の定時制高校の卒業式で、十数人の卒業生の大半が国歌斉唱で起立しなかった。これを受けて、都教委は都立学校の校長に新たな通達を出した。生徒への「適正な指導」を教職員に徹底するよう求める内容だ。

 生徒を1人残らず国旗に向かって立たせ、国歌を斉唱させる。かみくだいて言えば、それが指導の中身だろう。

 見逃せないのは、今回の指示が職務命令にあたる「通達」であることだ。都教委は2年前にも同じような指示をしているが、その時は「通知」だった。いわば、これまでの「指導してください」が「指導せよ」に変わったわけだ。

 通達を受けた校長は教職員の一人ひとりに職務命令書を出さねばならない。起立しない生徒がいれば、先生が責任を問われ、処分されかねない。

 自分が歌わなければ先生が処分される。そう思った生徒は起立する。それが都教委の狙いだろう。

 先生自身は03年に都教委によって起立や斉唱を義務づけられている。それに抵抗した約300人が処分された。

 都教委にとって、残るは生徒だけだ。しかし、ちょっと待ってもらいたい。

 6年前の国旗・国歌法の国会審議で、政府は「児童や生徒の内心に立ち入って強制するものではない」と繰り返した。

 「起立しない子どもがいたら、どう考えるか」と問われ、当時の文相はこう答弁した。「ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないということはあり得る。他人を無理やり歌わせないとか、無理やり座らせるとか、こういうことはぴしっと指導すべきだ」

 定時制高校の卒業生たちは、他の生徒の起立や斉唱を妨げたわけではあるまい。それでも新たな通達を出した都教委は、生徒の内心の自由などをはなから考えていないとしか思えない。

 昨年、ある都立高校の卒業式で、生徒たちが「これ以上、先生たちをいじめないでほしい」と発言した。その高校では今年、保護者が要望した2階からのビデオ撮影を代表1人に限り、録画テープを学校に預けさせた。学校は「外部へ流出する恐れがある」と説明した。

 学校は何を恐れているのだろうか。保護者がわが子の記録も自由に撮れないとは、なんとも異常なことだ。

 卒業式は最後の授業である。主役は生徒と先生だ。教育委員会の過剰な介入で、大切な思い出を汚してはならない。

(2006年03月15日 朝日社説)


 相変わらず詭弁を奇麗事で誤魔化すことにかけては、本場中共にも負けないほどの手腕です。

 朝日新聞社説子は、国旗掲揚時の規律や国歌斉唱に反対して処分された教員を庇いたいようですが、公立学校の教員は公務員です。

 公務員が政府自治体の打ち出した方針に従わないで処分されることは、至極当然のことであり、それが嫌ならば公務員になどならずに、民間企業に勤めれば良いだけの話です。

 そして今回は都教委が「通知」ではなく「通達」としたことに噛み付いているようですが、だからなんだと言うのでしょうか。

 「通知」ではまともに指導しようとしないから「通達」になった訳であり、事の原因は強く言われないのを良いことに、職務をきちんと遂行していなかった教員に責任があるとは考えないのでしょうか。

 そもそも民間企業ならば、「してください」などと甘いことを言われるようなことはほとんど無く、いきなり「せよ」と来るものだと思われます。

 言われた事がきちんと出来ないならば、それ相応のペナルティが与えられるのも、民間企業ならば当然のことと言えるでしょう。

 朝日新聞は他の公務員には厳しいくせに、何故に教員にだけ甘くしろと言っているのでしょうか。

 また朝日新聞は、生徒の内心の自由についても噛み付いています。

 確かに内心の自由は保障されるべきではあります。

 しかし学校というものは集団生活の場であり、個々人が各々に自己の内心の自由を主張し、好き勝手なことをやっていては、集団生活などは、決して成り立ちはしないでしょう。

 集団の輪に入る以上、ある程度は権利自由が制限されることは、社会生活においては当たり前のことです。

 個人が自宅において国歌を批難しようと、国旗にケチを付けようと、それは確かに個人の自由と言えるでしょう(本来ならば、このような不逞の輩は日本から出て行くべきだとは思いますが)。

 しかし学校という集団生活の場において、国旗掲揚時に起立して国歌を歌うことが、行事の一環として取り入れられているのならば、個人の主張は別として、その場ではそれに従うのが、集団生活における最低限のルールというものでしょう。

 そしてまた学校とは、そういう集団生活における最低限のルールを学ぶ場所でもあったはずです。

 それに抗う生徒がいるのならば、何故にそうしなければならないかきちんと説明し諭すことは、教員の重要な職務の一つであったはずです。

 それも出来ないで、生徒の自主性に任せたいから強制などすべきでないとは、単なる教員の職務怠慢であるとしか、私には思えません。

 人間には生きていく中で個人の主張よりも、集団の和を重んじなければならないことが多々あるはずです。

 その程度のことも生徒に諭すことが出来ないような教員など、存在価値などないと言っても過言では無いでしょう。

 今回の朝日新聞社説は、完全にとを区別出来ていない、まともな大人とは思えないものです。

 もう一度言いますが、個人が内心の自由に従い、一人の時間や個人の空間において、国歌国旗をどのように思おうが個人の自由です。

 しかし学校という集団の生活の場において、国旗掲揚時に起立して国歌を歌うというのが、行事の一環として定められているのであらば、少なくともその場においては、それに従うのが当たり前なのです。

 どうしてもそれが嫌なのであらば、それらの行事が義務付けられていない私立学校に入学すべきであったと言えるでしょう。

 たとえ入学後でも、その学校の行事がどうしても自身の思想の観点から我慢できないのであれば、転校する自由というものも与えられています。

 あれも嫌これも嫌などという我侭は、権利などとは呼びません。

 権利には必ず義務というものが付いてくることを教える事も、教師という職業の重要な職務であるはずです。

 朝日新聞社説子はもう一度、義務権利の関係というものをきちんと整理してから社説を書くようにした方が良いでしょう。

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南京の真実

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国歌を歌うアメリカ人に面と向かって「侵略国家であるアメリカの国歌を歌うのは怪しからん」と文句を言った人の話は聞いたことがないんですが。
2006/03/17(金) | URL | 煬帝 #AVNby.KY[ 編集]
国歌を歌うことを怪しからんなどという、奇異なことをいう人間は恐らく日本以外には存在してはいないでしょう。

普通の国では左翼と呼ばれる人間でも、最低限の愛国心は有しているでしょうから。
2006/03/17(金) | URL | 浪人 #-[ 編集]
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