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東京新聞の自由って何かね
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“自由”を問い直す

 権力者の思うままを許さないことが憲法の役割です。強い者と弱い者の共存を目指すのが真の自由社会です。小泉流の憲法観には“異議あり”です。

 「自由」について考えさせられることが続きます。まず最初に、中国などの反発を招いた小泉純一郎首相の靖国神社参拝とムハンマドの風刺画の報道を取り上げましょう。

 首相は「小泉純一郎も一人の人間だ。心の問題、精神の自由を侵してはならないことは憲法でも認められている」と言い、イスラム文化を見下した問題の風刺漫画を掲載したメディアの関係者は「表現の自由」を唱えます。

■押しつぶされる“心”

 どちらも他人の心の内を理解しようとせず、自分の気持ちのままに振る舞う権利を主張する点が似ています。強者、優位にある者のごう慢さを感じます。

 不思議なのは小泉首相が日の丸、君が代の強制に何も言わないことです。入学式や卒業式で「日の丸掲揚に起立できない」「君が代を歌えない」という先生が処分され、「心の自由」が押しつぶされています。反戦の落書きをしたりビラを配ったりした人が逮捕されています。

 「こころ」を重視するのなら、これらのことに何らかの言及があってしかるべきでしょう。

 そこで「自由」について基本から考えます。

 一般の国民と同じように内閣総理大臣にも心の自由があり、自分の心に従って行動してもよい。これが首相の展開する論理です。

 しかし、国王の権力を法の力で制限しようとしたのが近代憲法の淵源(えんげん)です。憲法が保障しているのは「権力からの自由」であり、権力者の自由ではありません。それは政府や権力者を規制する原理です。

 権力者を縛る憲法を、首相という最高権力者にかかる制約をはねのけるために持ち出すのは矛盾です。

■内心に踏み込む法規範

 日の丸、君が代の強制に続いて、国民の内心を管理しようとする動きもあります。国民に「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支える責務」(自民党の新憲法草案)を押しつけ、教育基本法改正で子どもに愛国心を植え付けようとする人たちがいます。

 法規範で人間の「こころ」の在り方にまで踏み込み、特定の方向へ引っ張っていくのは、立憲主義の考え方とは正反対です。

 「およそ立憲の政において君主は人民の良心に干渉せず」-百年以上も前の政治家、井上毅がずばり言い切りました。

 小泉構造改革の柱、規制緩和や市場原理の基本である自由競争に関しても疑問が浮かびます。

 経済活動における自由とは、役所や役人からあれこれ細かな指図を受けないで、当事者同士の合意に基づいて取引や契約ができる状態をさします。これも「権力からの自由」であって、強い者が思うままに振る舞う自由ではありません。

 フランス人権宣言第四条には「自由とは他人を害しない範囲で自分の権利を行使できること」とありますが、日本の現実は「強者がより強くなる権利」になっていませんか。

 例えば、雇用規制緩和、働き方の多様化など美辞麗句のもとパート、派遣、契約、業務請負など企業側の労働力コストを引き下げる雇用形態が広がりました。その陰で、大部分のごく普通の労働者は企業の支配的地位の前に不利な条件でも労働を余儀なくされています。

 国税庁調査による民間企業労働者の平均給与は七年連続で減少しています。参入が自由化されたタクシー業界では、運転手の年収が十五年前の30%減です。平均が生活保護基準を超えているのはわずか十都県、家族を抱えて二百万円以下の人もいます。それでいて車両を増やし、収入を確保している会社が多いのです。

 市場原理とは強い者だけが生き残る「ジャングルの自由」のことなのでしょうか。

 「規制緩和」や「構造改革」「市場原理」などのかけ声に金縛りになったかのような日本社会は、小泉改革を批判的に論じるには勇気を要する雰囲気に支配されています。

 でも、小泉内閣の強引な手法に懐疑の目を向ける人がやっと最近になって増えました。現実を無視できなくなったのです。

 映画「白バラの祈り」が全国各地で上映され、静かに、しかし着実に観客を集めています。一九四三年のドイツで、ナチズムに抵抗する運動をした若者が逮捕され処刑されるまでの五日間の実話です。

■良心圧した追随、迎合

 映画のテーマは、事実を直視し、心の命ずるままにナチに反対した若者の良心だけではありません。ヒトラーに忠勤を励む政治家や官僚、権力者に追随、迎合する民衆など、当時のドイツ社会を映しています。

 時代は違いますが、何となく類似性を感じさせる日本の現状に対する不安が、人々に映画館へ足を運ばせるのではないでしょうか。


(2006年04月02日 東京新聞社説)


 これは物凄い電波ですね。

 とてもではありませんが、まともな人間の書いた文章とは思えません。

 こんな便所の落書き以下の、カルト宗教の経典みたいな物を毎日読んでいて、まともな精神を維持出来ている人が存在したら凄い事ですよ。

 流石に電波慣れしてきた私でも、読んでいて眩暈がしてきましたが、頑張って気を確りと持ち、私なりにこの社説を分析してみたいと思います。

 「自由とは他人を害しない範囲で自分の権利を行使できること」

 これに対しては、特に異論はありません。

 「日の丸掲揚に起立できない」「君が代を歌えない」という教員が処分される事について、東京新聞の電波社説子は異論を唱えているようです。

 自宅に日の丸を掲揚するように強要されたり、毎日起床就寝時に、君が代を歌えとでも言われたのであれば、これは個人の自由への侵害と言えるものでしょうが、学校という職場において、教員という従業員が、式典の場において、定められた行事である「国旗掲揚時の起立」や「国歌斉唱」が出来ないなどというのは、式典の進行を妨げているという意味で、十分に他者に迷惑を与えている以上、それは自由などではなく単なる我侭であるという事は、極一般的な社会人ならば理解出来るものであると思います。

 また東京新聞の電波社説子は、「反戦の落書きをしたりビラを配ったりした人が逮捕されています」と、ここだけを切り取れば、ほんの一瞬、正論に聞こえそうな詭弁を吐いていますが、自衛隊の方の住居の中に入り込んでまで反戦のビラを撒く行為は、他者に迷惑を掛けているどころか犯罪行為であり、これを自由などと呼ぶのは、基地外サヨク以外には存在などしていません。

 「こころ」がある人間は、上記のような異常な行動は取りませんし、また思いつきもしません。

 そして恐らく、この東京新聞の電波社説子が一番言いたかったのは、首相靖国神社参拝についてなのでしょう。

 「国王の権力を法の力で制限しようとしたのが近代憲法の淵源」というのは、特に間違った解釈でも無いと思えます。

 ただ東京新聞の電波社説子に聞きたいのですが、日本国首相って、一体何時、国王並みの権力者になったのでしょうか。

 確かに政治家という職務に就く人間はその責任上、権利が一部制限されるのは、当たり前と言えるものかも知れません。

 しかしこの電波の論調を見れば、「日本国首相は、中世の国王にも匹敵する位の絶対権力者であるが故に自由は著しく制限され、精神の自由すら持つ事も許されず、まして反対する人間もいる中、靖国神社に参拝するなどは、以ての外である」とでも言いたげなように感じます。

 国家公務員である公立学校の教員が、式典の進行を妨げてでも、国旗掲揚時の起立や国歌斉唱を拒否出来て、政治家は内心の自由に従って、故人を想う事すらも許されない。

 これって基地外サヨク諸氏が、いつも大声で糾弾している、差別であると私には思えるのですが、東京新聞の電波社説子は、如何に考えておられるのでしょうか。

 この問題についてこの電波社説子は、「権力者を縛る憲法を、首相という最高権力者にかかる制約をはねのけるために持ち出すのは矛盾です」と訳の分からない一言で締め括ろうとしていますが、首相と言えども一国民である以上、憲法の下で約束された範囲なら、他者の権利を奪わず、職務職責に影響しない限り、自由にして良いと思えるのですが、この電波社説子は一体何を言いたいのでしょうか。

 まさか「ウリはコイジュミが、靖国神社に参拝する事が気に食わないから、コイジュミはウリの言う事を聞いて、参拝を今すぐ止めるべきニダ」とか言ってるんじゃないですよね。

 その論法が許されるのならば、我々日本人には、東京新聞は大変不愉快で有害だから、日本から出て行って欲しいという、我々日本人の切実なる願いを聞いて、東京新聞はとっとと半島か大陸にでも移転してくれませんかね。

 そしてこの電波社説子は次に、愛国者教育について、異論にならない異論を唱えています。

 このお馬鹿さんの言うには、「法規範で人間の『こころ』の在り方にまで踏み込み、特定の方向へ引っ張っていくのは、立憲主義の考え方とは正反対」なのだそうです。

 この馬鹿は真剣に心から、本当に何の疑いも無く、この様な馬鹿電波全開の、黒い元気玉が出来そうな事を言っているのでしょうか。

 だったら基地外サヨクの信奉している、憲法9条は一体如何なるのでしょうかね。

 この論法でいくと、日本人の「こころ」に対して、無理矢理に非武装平和主義を押し付けている憲法9条は、確実にサヨク流の立憲主義に反してると思うのですが、東京新聞は如何お考えなのでしょう。

 大体「愛国心を強制」だなどと、まるで愛国心が悪い物であるかの様に書いてますが、国家の構成員である国民が、愛国心を持つ事は当然の事であり、これを否定する事は、教育労働納税などの国民の義務を否定しているに等しい事です。

 日本国など1ミリも愛してはいないが、外国で不自由な思いをするのは嫌だから、日本に住まわせろなどと言う、手前勝手な我侭など通るはずがありません。

 日本を愛していないのであれば、別の国に移住して国籍を取得する権利を有しており、方法も用意されているのですから、さっさと日本から出て行くべきである事は当然です。

 何の解決策も提示せず、ただ日本を愛せと言っているならば反論する気持ちも理解出来ないでは無いですが、解決策がある以上、その方法に則って行動すれば良いだけの事であり、東京新聞の言い分は、只の我侭以外の何物でもありません。

 どうも東京新聞の阿呆どもは、自由と我侭を履き違えておられる様にしか思えません。

 そして東京新聞の基地外電波社説子は、サヨクの十八番である、東邦学園の日向くん並の強引なドリブルを使って、小泉構造改革批判へと話題を進めます。

 此処でまず最初に言っておきたいのは、小泉構造改革が間違った方向に進んでいる事など、東京新聞如きに言われるまでも無く、ほとんどの国民は気付いています。

 大半の良識ある国民は、何時でも軌道修正出来る構造改革などよりも、皇室典範改悪という国家の一大事を防ぐ事に腐心しているだけであり、東京新聞小泉批判をしたいのならば、此方の問題を持ち出した事の方で糾弾すべきでしょう。

 ついでなので言わせて頂いておきますが、東京新聞の阿呆は愛国者教育が「規制緩和や市場原理の基本である自由競争に関しても疑問が浮かぶ」と言っています。

 愛国心を持つと自由競争に支障を来すとは、一体如何なる論法なのか、私には分かりかねます。

 次に東京新聞は「経済活動における自由とは、役所や役人からあれこれ細かな指図を受けないで、当事者同士の合意に基づいて取引や契約ができる状態を指す」言いますが、それは間違いで、「役所や役人から指図を受けなくとも、良心に基づいて、当事者同士が合意し、取引や契約を出来る状態を指す」のです。

 何らの指針にも基づく事無く、当事者同士の合意のみだ契約や取引が成り立っていたら、世に住む人々の大半が多大な迷惑を被るであろう事くらい、容易に想像出来るものです。

 そして東京電波新聞は、「市場原理とは強い者だけが生き残る『ジャングルの自由』のことなのでしょうか」と問いかけています。

 この東京電波新聞の基地外電波社説子は、「市場原理」と「市場原理主義」の区別がついていない様です。

 市場原理とは、複数の供給と複数の需要が自由に相互選択することにより評価が決定される複雑系の原理の事です。

 東京電波新聞の基地外社説子が「市場原理とは強い者だけが生き残るジャングルの自由」と言っているのは、この市場原理ではなく、良心や道徳を省みる事無く、市場経済のみを信奉し、金が全てであるかの様に振舞う市場原理主義の事です。

 便所の落書き以下の、サヨクプロパガンダ紙とは言え、一応は新聞を名乗っている以上、日本語くらいは正しく使って頂きたいものです。

 何度も言いますが、小泉竹中コンビによる構造改革が、この市場原理に走っており、日本にとってあまり好ましくないものである事など、東京電波新聞の様な、日本語も上手く使えない、サヨクプロパガンダ紙に言われるまでも無く、大半の日本人は気付いています。

 小泉叩きがやりたいのであれば、このような疾うの昔に皆が理解している様な事では無く、御皇室に対する不遜な行為や、阿呆の民主党のせいでほったらかしになっている、ライブドア問題耐震偽装問題BSE問題防衛施設庁談合問題の、所謂4点セットについて糾弾すべきと言えるでしょう。

 そして最後の最も非道いと思える、映画「白バラの祈り」と日本を無理糞に重ねようとしている部分ですが、これは最早、電波などという次元を通り超えて、カルトのレベルに達していると思われます。

 私はこの映画を観てはいませんし、此処でナチスの是非について問う気もありません。

 しかし現代日本と、ナチズムに支配されたドイツを同一視する、カルトサヨクの常套手段は、余りにも歴史に無知であり、日本にもドイツにも失礼なものである事だけは分かります。

 過去を余りに美化し過ぎる事は、品の良くない行為ですが、過去を都合の良い様に歪曲し、利用するといった行為は、品性下劣で、畜生にも劣る人非人が為す行為です。

 今の日本に、小泉政権を批判して生命を奪われた者など、何処にも存在していません。

 小泉首相に対して忠勤を励んでいる人間は、竹中氏武部氏など極一部の人間である事は明らかですし、国民の中にも反小泉を謳っている方は多く存在します。

 小泉政権を批判したところで、非国民と呼ばれる事も無ければ、小泉首相の支持者にしても、小泉首相に心酔している人間など、ほとんど存在していないでしょう。

 そしてドイツに関して言わせて頂けば、ドイツドイツなりの判断を以って、ヒトラーを支持し、ナチス政権を誕生させた訳ですから、特別被害を受けた訳でも無い我々日本人が、無碍に何の理由も無く、やたらと批難するのは、品性・知性ともに欠落した外道のする事です。

 やたらと戦争責任をきちんと果たしてもいない、現代ドイツを持ち上げるのも、ドイツへの嫌がらせとしか思えないものですが、無意味にナチスを持ち出して来て、過去のドイツを攻撃するのも、品性のある人間のする行為ではありません。

 東京新聞は一度、自らが書した社説記事を読み返し、如何に己が非道で非人間的な行為をしているかという事を認識し、深く反省し、然る後に腹を切って朽ち果てて頂きたいと思います。

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南京の真実

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小泉批判の文章に「反ナチ抵抗運動」を持ち出すなど狂気の沙汰です。

大学入試の小論文でこんな文章書いたら不合格確定。

文章全体を貫く芯もはっきりしない。
靖国参拝、ムハンマド諷刺、自由論、市場原理主義、反ナチ運動。
これは一つの文章に詰め込むべきものでしょうか。
こんな文章しか書けない人間を飼ってるんなら廃業した方が遥かにましだと思いますが。
2006/04/03(月) | URL | 煬帝 #AVNby.KY[ 編集]
まったくもって仰る通りです。

反日マスコミは数有れど、此処まで不細工な文章が書けるのは、東京新聞くらいのものでしょうね。
2006/04/03(月) | URL | 浪人 #-[ 編集]
こんにちは、内容について特に申し上げるつもりはないのですが、最初の記事の前に以下は記事の引用である旨を書かれた方が良いのではないかと思います。一瞬その記事の部分が筆者の意見なのかと思って見る価値無しとして窓を閉じる所でした…。私だけかもしれませんが念の為。
2006/04/27(木) | URL | 通りすがり #nvV19a2w[ 編集]
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