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トップマスゴミ → サヨクの断末魔

サヨクの断末魔
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 東京新聞は何が何でも憲法改正、特に偏愛する9条を改正されるのが嫌らしく、予想通り憲法記念日である本日の社説にて、お花畑チックな自論を展開してきたので、ここに紹介させて頂こうと思います。

『平和』を生きた責任 憲法記念日に考える

 歴史の歯車を逆転させてはいけません。憲法の役割が変質するのを見過ごすようでは、平和の時代を生きることのできた者の次世代に対する責任が問われます。

 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」-日本国憲法第九九条です。ここに「国民」という言葉がないことに気づいていましたか。

 まず、憲法が公務員の行動規範であることを確認して話を進めます。

 この数年来の憲法改正論議は、統治する側の国会議員とその周辺の人々が中心であることが特徴です。治められる国民からは、新しい憲法像が明確に提示されていません。

■内発性と主体性と

 世論調査では改憲容認が多数意見ですが、改正を期待する点はばらばらです。研究者は政治的に利用されることを警戒して沈黙しています。こんなことで国民の間に定着できる新憲法が生まれるでしょうか。

 社会学者の日高六郎さんは三十年近く前、雑誌『世界』に寄せた論文「憲法論議」で「内発性に基礎づけられない普遍性は存在し得るでしょうか。主体的な要求を伴わない価値は持続的に持ちこたえられるでしょうか」と問いました。

 いまの憲法が誕生する前、政府案だけでなく在野の研究者、文化人、弁護士らによるさまざまな改正草案や草案要綱案などが生まれました。それらの中には現憲法と同じ非武装を宣言したものもあります。

 GHQ(連合国軍総司令部)で草案作りの責任者だったケーディス大佐は、それらを参考にし生かしたものもあると語っています。廃虚の中で立ち上がろうとする人々は新しい平和憲法を歓迎したのです。

 「押しつけ」といわれますが、誕生の背景に内発性と主体性もあったからこそ日本国憲法は六十年間、持続したのではないでしょうか。

■価値観の大転換が

 冒頭に紹介した第九九条は、前文の“平和の誓い”や第九条の非戦非武装宣言とともに憲法の核心部分です。憲法は国民にあれこれ指図するのではなく、公権力を縛るものであることを明らかにしています。

 敗戦を機に日本国民の間に価値観の大転換が起きました。戦争による紛争解決から国際平和主義へ、軍国主義から民主主義へ、滅私奉公から個人の尊重へ…軍事を最優先にしない価値観が確立しました。

 憲法や、「個人の尊厳重視、真理と平和の希求」を前文でうたった教育基本法がそうした価値意識の形成に役立ったのは確かでしょうが、国民の内在的欲求と合致していたから有効だったのでしょう。

 ところが、経済的繁栄の中で多くの日本人が初心の継承を忘れ、戦後的価値観を劣化させてしまったようにみえます。

 いまの日本人のほとんどは、生まれたときから日本国憲法と豊かな生活がありました。軍事を最優先する息苦しさとも悲惨な戦争被害とも無縁です。自分は平和な社会に身を置いているだけに、憲法と平和の価値に戦争を経験した世代ほど敏感ではない人もいるでしょう。

 しかし、改憲が政治テーマになったいま、改憲論者の狙いをしっかり見極めなければなりません。

 自民党の新憲法草案は「帰属する国や社会を愛情と責任感をもって支え守る責務」を国民に求めます。

 反発を警戒して草案の表現はやわらかくなりましたが、論点整理では「憲法が国民の行為規範であることを明確にする」でした。「公権力の行動規範から国民の行動規範へ」です。民主党の憲法提言中間報告も同じことを言っています。

 教育現場で日の丸・君が代が強制され、愛国心教育を盛り込んだ教育基本法の改正が現実の問題となっていることを、この憲法観に重ねて考えましょう。

 国家が国民の道徳観や生活の在り方を指図した、教育勅語の時代に逆戻りしかねません。

 前文や第九条の改正は「戦争ができる国」の復活を意味します。勝利を目指せば軍事を優先せざるを得ないのは論理的帰結です。

 憲法観、国家観の根本的な逆転換と言えるでしょう。

 こう考えてくると、いまの改憲論議の危うさが浮かび上がります。

 日本の社会では、自由競争政策のあおりで少数・異端者、弱者への寛容さ優しさが薄れています。相手の気持ちを理解しようとしないナショナリズムも台頭してきました。

 泥沼と化したイラク、唯一の超大国・米国による「力の支配」になった国際社会に目をやると、日本が果たすべき役割が問われています。

■互いに尊重が基本

 国家も国際社会も、全体の調和を保ちながら各個人、各国家が個性を発揮する“粒あん”のようでありたいものです。そのためには互いに相手を尊重することが基本です。

 大きな犠牲を払って確立した憲法的価値観、国家観が逆転するのを傍観していては、平和な時代に生きて自由を享受してきた者の次の世代に対する責任が果たせません

(2006年05月03日 東京新聞社説)


 現行憲法に日本人の内発性も主体性も存在せず、勝者であるGHQによって無理矢理に押し付けられたものに対して、当時の政治家たちが屈辱に耐え抜いて戦い、いくつかの意見を何とか入れて貰えたというのが実情である事は、ムクゲのお花畑の住人であるサヨク諸氏以外の人間は皆が皆、理解出来ると思われるものです。

日本国憲法 前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


 前文だけを見ても分かる通り、現行の日本国憲法は、日本らしさというものが、皆無といってもいいくらいに含まれていないものです。

 もし仮に日本人が、内実性と主体性を発揮してつくったものならば、このような何処の国のものか分からない、無国籍感漂う憲法が出来る筈が無いと断言出来るものです。

 全てを論っていくと、いくらスペースがあっても足りないので、ここでは引用は前文だけに止めますが、この他の条文にも日本国憲法であると分かる点など、日本語で書されているくらいのものしか思いつきません。

 また、現行憲法日本人が主体性と内実性を発揮してつくったものでは無く、GHQによって押し付けられたものである証拠として、いくつかの条文に日本語としてかなり分かりにくい、英文を無理矢理に訳したとしか思えないものが存在している事もあります。

 例えばサヨクが大好きな9条の一項の文章にしても、
日本国憲法 第2章 戦争の放棄

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 とありますが、この様な回りくどい言い方をせず、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国際紛争を解決する手段としては、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する」とした方が意味が分かり易くなる事は明白で、仮に日本人が主体的につくったのならば、少なくとも現行のものの様な、理解し難い文章には、まずしないであろうと思われるものです。

 プロ市民の先駆けである、社会学者の日高六郎氏は、「内発性に基礎づけられない普遍性は存在し得るでしょうか。主体的な要求を伴わない価値は持続的に持ちこたえられるでしょうか」と言っておられたそうですが、持ちこたえられなくなったから、今さかんに改憲が叫ばれているのです。

 制定当時は日本は貧しく、憲法など気にしてる暇のある人間が少なかった故に、改憲の声は大きなものとならず、復興後においては、サヨク在日プロ市民の日本の三悪の声が、凄まじい程にデカかったが為に、改憲を叫ぶ人の声は掻き消されてきただけのです。

 急激な経済成長日本全体が酔い痴れ、「憲法などより銭」という考えが蔓延していた事にも一因があると言えるでしょう。

 つまりは上記の様な諸々の理由により、何とかこれまで持ちこたえてきたものの、主体性も内実性も無い現行憲法は、ここに来て持ちこたえられる限界に達したと考える方が、明らかに押し付けられたものである現行憲法を、詭弁で誤魔化して「主体性や内実性に溢れるものですぅ」と嘯くよりかは、いくらかは論理的と思われます。

 ただ一応言っておきますと、我々が改憲しようといっているのは、「押し付けられたものはイヤ」などと我侭で言っているのでは無く、海を隔てたすぐ側に、特上の基地外侵略国家がある現状において、非武装などとアタマの愉快な事を言っていたら非常に危ないので直しましょう。

 また、明らかに軍隊である自衛隊を有しているのに、「私たちは非武装ですぅ」などと嘘満開な事を言うのは、国民の安全を守る自衛隊員にも失礼だから、直しましょうと言っているだけです。

 別に現実に則したものであるならば、GHQ製であっても、不満はあっても、これ程までに改憲を強く求めたりはしません。

 また東京新聞は、「敗戦を機に日本国民の間に価値観の大転換が起きました。戦争による紛争解決から国際平和主義へ、軍国主義から民主主義へ、滅私奉公から個人の尊重へ…軍事を最優先にしない価値観が確立しました」と言っていますが、その価値観こそが、現代日本における病理の根本的な原因である事は明らかです。

 その国際平和主義とやらのせいで、我が国は領土・領海を侵されてもまともに対抗も出来ずにやられたい放題となり、間違った民主主義により在日に特権を許し、行き過ぎた個人の尊重により地域社会の崩壊を齎し、軍事を軽んじ過ぎたが為に米国依存症に陥ったという事が、事此処に至っても理解出来ないで、よく新聞記者などを恥かしげも無くやっていられるものだと感心します。

 あと改憲と言っただけで軍靴の音が聞こえるのは、幻聴という症状であり、統合失調症の恐れがあるので、一度きちんと医師に診察してもらう事をお勧めします。

 そして東京新聞は「互いに尊重が基本」と書いて、奇麗に締め括ったつもりでいる様ですが、何度も言う様に、東京新聞を始めとする基地外サヨクによる、行き過ぎた個人主義の推進が、その「互いに尊重が基本」という精神を破壊しているものです。

 いくら最後の悪足掻きにしても、もう少し考えてから文章にしないと、私は優しいからこの程度しか書きませんが、厳しい人ならば、この十倍は矛盾点やダブスタなどを、過去に遡ってまで調べて追求されてしまうとご忠告差し上げます。

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南京の真実

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日本社会の為に積極的な意味で役に立ったことがあるんでしょうか。

戦後日本の左翼系政党でまともだったのは「民社党」(「社民党に非ず」)だけでは?

こんな連中が死守しようなんて憲法がまともな筈がない。

みずぽと志位ちゃんのツーショットは正視に堪えませんでした。
2006/05/04(木) | URL | 煬帝 #AVNby.KY[ 編集]
>戦後日本の左翼系政党でまともだったのは「民社党」(「社民党に非ず」)だけでは?

民社党はたしかにまともな政党でしたね。

ただ思想としては、左というよりも民族派に近い様な気がしないでもないですが。

>みずぽと志位ちゃんのツーショットは正視に堪えませんでした。

みずぽタンと志位くんのツーショットなど、ギャグ以外の何物でもありませんからね。

もういっその事合併して、日本売国党とでも党名を改めればいいと思えますね。
2006/05/04(木) | URL | 浪人 #-[ 編集]
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