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トップ未分類 → リメンバー長崎大虐殺

リメンバー長崎大虐殺
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 1945年8月9日、広島にウラニウム型の原子爆弾「リトル・ボーイ」が投下された8月6日から3日後、長崎県長崎市に向け、プルトニウム型の原子爆弾「ファットマン」が投下されました。

長崎

 直接、投下したのは、広島の時と同じB-29スーパーフォートレス。

 但し、同じ機体、「エノラ・ゲイ」と名付けられた機体では無く、「ボックスカー」と命名された機体で、搭乗者も、「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ大佐では無く、彼の部下であったチャールズ・スウィーニー少佐です。

チャールズ・スウィーニー少佐

B-29「ボックスカー」


 6日の広島への投下で約12万人、そして、この長崎への原爆投下で約7万人。

 ファッショと戦い、民主主義を守っていたと今でもほざいている米国は、何の警告も無く、国際法が禁じている非戦闘員に対しこれ程までの大虐殺を行ったのです。

 ナチスドイツが原爆を開発する可能性あり、となった時、アインシュタイン博士は時のルーズベルト米大統領に対し、警告の書簡を送りました。

 その後、「マンハッタン計画」という原子爆弾開発プロジェクトが発足し、12万人の科学者、技術者、軍人が動員されています。

 1945年4月27日、マンハッタン計画に参加した科学者および兵器専門家によって構成された原爆投下目標選定委員会が初めて開かれ、京都・広島・小倉・新潟の四都市が原爆投下目標都市として選定されています。

 同時に、政治的な検討を行うためスチムソン陸軍長官は、1945年5月4日、陸・海・国務3省及び原爆の開発に従事した科学者の最高幹部からなる暫定委員会を設置し、同年6月1日、満場一致で以下の採択をしています。

  1. 日本に対して早急に原爆を使用すべきであること。

  2. それは,最も破壊されやすい家屋その他の建築物,これらに隣接した軍事施設あるいは軍需工場を目標とすべきであること(二重の目標)。

  3. それは原爆であるとの事前の通告(警告)なしに使用するべきであること。

 最初から、警告を発するつもりなど毛頭無かった訳です。

 原爆投下にあたり、最も適した都市とされたのは京都でしたが、スチムソン陸軍長官の反対もあり、京都の代わりに長崎が候補として加えられる事となります。

 最終的に、広島と小倉が原爆を投下する都市として選定されましたが、投下目標である小倉上空において、爆撃手が目視による投下確認に失敗するなどのトラブルがあり、ボックスカーは燃料に余裕が無くなり、その上に燃料系統に異常が発生し、予備燃料に切り替える事となります。

 その間に天候は悪化、日本軍の高射砲からの対空攻撃も激しくなり、更には、撃墜の為の戦闘機も出撃して来た為、ボックスカーは目標を小倉から長崎へと切り替えます。

 そして、午前11時2分、人類は、我が国は二度目の悪魔による破壊に見舞われる事となります。

 後に、ボックスカーの機長であったスウィーニー少佐は、こう語っています。

 当時私は戦争の残虐性について、苦しんだのが自国の人間であろうと他国の人間であろうと決して誇りや快感を感じたわけではなく、それは今でも変わらない。

 すべての命はかけがえのないものであるからだ。

 だが私は、自分が立っていたその都市を爆撃したことについて、後悔も罪悪感も感じなかった。

 破壊された周囲の光景が物語っていた苦しみは、日本の軍国主義文化の残虐さと、「下等な」民族を征服することを光栄とし日本がアジアを支配する運命にあると考えていた伝統によって、もたらされたものだからだ。

 後悔と罪悪感を抱くのは日本の国家のはずであり、偉大なる野望を達成するために国民の犠牲を惜しまなかった軍の司令官たちこそが、とがめられるべきであった。

(「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」より引用)


 彼は軍人であり、自分が遂行した作戦を誇りに思うのは別段構いはしないでしょう。

 しかし、少なくとも我々は、これが彼、スウィーニー氏のみで無く、現在の米国政府、そして米国の知識層の基本的な認識であるという事を覚えておかねばなりません。

 原爆を投下する対象を選定するにあたって、「白人」の国である独逸を選定する事は全く考えず、「アジアの黄色い猿」と認識していた日本に最初から限定し、軍や軍事施設では無く、原子爆弾という新兵器の威力をはっきりと確認する為、わざわざ民間人の居る大都市を狙った人種差別主義者の残虐主義者。

 そして、その事を未だに恥じず、反省もしない傲慢極まる精神の持ち主。

 それが、我が国の唯一の同盟国であり、民主主義の旗手を語り正義を掲げて中東の無辜の民を今尚弾圧し続けているアメリカ合衆国という国であるという事を。

 米国のそういう側面から目を逸らし続け、「世界の中の日米同盟」もクソもあったものでは無いと思います。

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1 万が一「この仮説」が正しいとしても、原爆使用を肯定する理由にはならない。
3 史実を踏まえたFiction
4 力作です。

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南京の真実

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記事拝見致しました。
やはり原爆はどうあっても正当化できるものでは無いでしょう。
米国が原爆を正当化する根拠として挙げるのは、数十万人もの連合軍兵士の命を救った等ですが、そもそも連日の無差別爆撃で軍需工場は破壊し尽くされ、生産能力は著しく低下、継戦能力など皆無でした。戦闘を行ったとしても、数十万人規模の損害など出るわけがありません。
大体、降伏に追い込むくらいなら海上封鎖で十分。資源さえ入らなければ何も出来ないのに、そんな事は米国も重々承知で、現にレーヒー提督が日本の降伏条件にそって、勝手に降伏させたらどうかとさえ主張していたそうです。
以上の点を踏まえても、原爆正当化の根拠が如何に脆弱なものであるかが分かります。
長文失礼致しました。        
2007/08/10(金) | URL | G #-[ 編集]
仰るとおりです。

そもそも、それ以前に、1945年の段階ならば、降伏勧告文書に「皇室の地位の保証」の一文さえ加えさえすれば、日本は直ぐにでも降伏を受け入れるという事は、米国の知日派達が主張していた事です。

それを、トルーマンが敢えて無視したという事は、即ち、ただ単純に原爆の威力、そして効果を「アジアの黄色い猿」相手に試したかっただけである事は明白です。

ソ連の対日参戦を防ぐ為という詭弁にしても、その前にヤルタでソ連に対日参戦を要求していたという事実、広島への原爆投下後にソ連が対日参戦してきているという事実を踏まえれば、阿呆らし過ぎてへそが茶を沸かす論と言えるものです。

米国の原爆投下に正当性など一切ありません。

あれは、人種差別意識に基づいた人類史上最低最悪にして最大規模の人体実験です。
2007/08/10(金) | URL | 浪人 #-[ 編集]
米人で原爆投下を正当化してる奴らには、広島の時わざと一回空襲警報を出させてから解除させ、外に出して来た非人道性についてきっちり抗議してます。
それでも懲りない非理性的な奴には、一転日本でも基督教徒が多い長崎で原爆落しやがってと感情に訴えます。
お前らは世界で初めて、多数の基督教徒を核の焔で殺した罪人だと…
2007/08/10(金) | URL | 蛞蝓 #-[ 編集]
抗議する事は非常に素晴らしいと思うのですが、連中が考えを改めるような事は、今のままではまず無いかと思います。

米国という国の建国の理念を無邪気に信じ、米国にこそ世界の正義があり、それを遂行する権利があると本気で思い込んでいる連中ですから。

方向性に多少の違いはありますが、根本的な部分で米人と支那人は殆ど同じだと言っても差し支えは無いかと思います。
2007/08/10(金) | URL | 浪人 #-[ 編集]
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 始めて長崎へ行く多くの人々は、きっと爆心地近くの<浦上天主堂>を訪れることであろう。二つの鐘楼を持つこの聖堂は、原爆により破壊されたけれども昭和34年に再建された。そして右側に位置する鐘楼には、「アンジェラスの鐘」があり、今も1日3回その美しい音色を響
2007/08/10(金) | 陸奥月旦抄