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キムチくんの夏休みの作文
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 阿呆の朝鮮人が、またぞろ「従軍慰安婦」の証拠を「作成」されたそうなので、ここに紹介します♪

北通信「日政府と軍が“慰安婦”直接介入」史料を発掘

過去に日本政府と軍が「慰安婦犯罪」に直接介入した事実を立証する資料が発掘されたと北朝鮮の朝鮮中央通信が16日、報道した。

中央通信によれば、日本軍は1938年3月4日、日本陸軍省法務課が作成し、陸軍参謀総長と法務局長の決裁の印章が押された「軍慰安所従業部募集に関する件」というタイトルの“日本陸軍性指令7号”を下達した。

国際法専門家であるチョン・ナムヨン博士(70)が最近発掘し、北朝鮮内閣機関紙である民主朝鮮を通じて公開した立証史料には、日本陸軍省、海軍省、外務省などが同年4月16日、中国南京駐在日本領事館で合同会議を行い、現地部隊監査によって軍の慰安所を直接設置し、17~20歳の女性たちを“日本軍強制慰安婦”という名目で慰安婦にすることで合意した記録も含まれている。

また1942年9月3日付日本陸軍省課長会議記録文件は軍の慰安所が北部中国に100カ所、中部中国に140カ所、南部中国に40カ所、南方地域に100カ所、太平洋上の島に10カ所、南部サハリンに10カ所など計400カ所にのぼるものと明らかにしている。

日本政府は軍部のこうした行為を見逃す政策を展開し、1943年9月“女子勤労従軍慰安婦制度施行方針”と翌年8月“女子精神勤労令”を当時の日本首相と天皇の署名を受けて勅令159号として公表していることもわかり、直接加わったことが明らかになったと通信は伝えている。

通信は「1990年代に入って第2次世界大戦時、性奴隷行為に旧日本政府と軍が直接関与したという極秘文書と記録が日本の多くの関係機関で連続発掘、公開されることで、性奴隷犯罪はこれ以上避けられない事実として証明された」と付け加えた。

(2007年08月17日 中央日報)

暴れん坊将軍様

 阿呆で間抜けなクソサヨクくん達が喜び勇んで取り上げて、またぞろ普通の人間なら人生に数回あるかないかくらいに巨大な恥をかく前に、寛大なるアジア的優しさで教えてあげましょう。

 まず、このキムチ半島の北側のキムチが発見したというこの資料は、「日本陸軍省法務課」という所が作ったそうですが、そんな部署は存在しません。

 陸軍省の内部部局は下記の通りです。

軍馬局
軍馬局は明治7年3月31日に「軍馬局条例」に基づき設置され、軍馬の調教等の馬政業務を掌った。支部として東京に第一厩、仙台に第二厩を設けた。明治19年3月1日を以って廃止され、所掌事務は騎兵局第三課が引き継いだ。

軍務局
明治23年3月に設置され、昭和20年12月の陸軍省廃止まで存続した。主たる所掌事務は国防政策・陸軍建制・編制計画・動員計画・予算に関する事項、軍需行政や国家総動員体制等多岐にわたり陸軍に関する行政、所謂軍政は主にこの局から発せられた。明治5年2月兵部省を陸海軍省と分割した際にも軍務局はあったが、その時は主に歩兵・騎兵の兵科に関する事項を取り扱っていた。明治6年4月に第2局と改め、明治12年10月には人員局と改称された。この頃は専ら後の人事局が掌る事務を行っており、明治23年3月に設置された軍務局との連続性はない。明治5年2月の秘史局とその後身である明治6年4月の第一局は所掌事務が「通報・軍務関係」でそれを引き継いだ明治12年10月の総務局が本来の前身で、総務局創設時の所掌事務は「庶務・徴兵・制規」だった。然し、明治23年3月の官制改正まで陸軍省では各兵科別に事務を執り行っていたが、それらを全て廃し事務は軍務局が掌った為所掌事務の上ではどの局とも連続していない。

人事局
明治5年に陸軍省が創設された際には兵科別に局が作られ、人事は夫々別々に行っていた。明治12年10月の官制改正で人員局が創設され、所掌事務は「将官、参謀並びに歩兵、騎兵、憲兵、輜重兵の各兵科及び獣医部、軍楽部の人員調査」であったが砲兵局・工兵局ともに人員課を持ち、人事については統一されていなかった。明治19年3月に人員局が廃止され人事については総務局第四課が掌った。この時には権限が全軍人に亘るが、騎兵局・砲兵局・工兵局では別個に人員調査を掌り将校名簿を管理していた。翌年6月には人事課に改称され、明治23年3月各兵科別の局が廃止され軍務局に一本化され、人事については大臣官房人事課が一括して掌握した。明治33年5月初めて人事局が創設された。所属課は補任課と恩賞課。この体制が長く続いたが、昭和11年8月、徴募課が新設された。昭和13年新たに功績調査部が設置された。昭和14年には先の徴募課が兵務局兵備課に移管され、1部2課体制で終戦を迎える事となる。昭和20年11月30日に陸軍省が廃止され、外地の軍人及び邦人の引揚に係る第一復員省に改組されるが、陸軍省人事局は業務局として残った。これは復員庁に改組縮小されても第一復員局業務部として残った。

兵器局
日露戦争に辛勝した日本は、兵器の研究・改良の必要性から明治41年12月に兵器局を設置する。始め銃砲課・器材課の二課を管掌していた。外局の陸軍技術審査部、陸軍兵器廠、砲兵工廠及び陸軍火薬研究所も所管した。大正7年6月には工政課を新設し軍需工業動員について管掌した。かねてから兵器に関する行政・実務は陸軍省兵器局・陸軍技術本部・陸軍兵器廠が執り行っていたが、内局か外局と言う立場があるものの何れも陸軍大臣の下に位置し並列で在った為、一元化を図り昭和17年10月これらを統合し新たに陸軍省の外局として兵器行政本部に改編した。

整備局
大正15年10月に新設された整備局は大正9年8月に設置された外局の作戦資材整備会議を前身とする。同会議は戦用資材整備・補給や、戦略戦術教育以外の諸般に亘る事項を審議し、陸軍大臣に意見具申を行った。議長は陸軍次官が、副議長は軍務局長が兼ねた。この会議に大正11年4月より臨時軍事調査委員会の業務の一部を継承した。臨時軍事調査委員会は列国の軍事事情調査の為に設けられた官制外の組織で、後に軍事調査部・調査部と名を変え、新聞班・調査班を管轄した。作戦資材整備会議は国家総動員体制の確立の為大正15年10月の官制改正により整備局として改編された。局長には会議幹事長が就任し、動員課と統制課が置かれた。召集・動員、軍需工業の指導、軍需品の統制・補給・製造について管轄した。昭和11年8月には動員・統制の二課が廃止され新たに整備課・戦備課が設置された。所掌事務に陸軍軍需審議会の管轄が加わり、軍需動員体制について強化された。その後数度、課の改編を経て昭和20年4月業務を軍務局・兵務局・陸軍燃料本部に移して整備局は廃止された。

兵務局
兵務局は、昭和11年8月1日に新設された。昭和11年2月には青年将校のクーデター「二・二六事件」が起こり、軍紀・風紀の監督部署として軍務局から分離・独立した。当時の所属課は兵務課・防備課・馬政課。主な所掌事務は軍紀・風紀に関する事項、典範令に関する事項(軍部内に係る規則の事で正しくは典令範だが、典範令(てんぱんれい)と呼び慣わした。)についての事項や、要塞地帯・国防用土地に関する事項、軍馬の管理に関する事項等。風紀についても取り扱っていた事から終戦後の昭和20年11月に新たに規律課が新設された。

経理局
経理局は明治5年2月27日陸軍省創設の際に設けられた会計局が前身で、明治6年3月に第五局と改称するが、明治12年10月会計局に復し、明治24年8月16日に経理局へ改称した。終戦時には主計課・建築課・衣糧課の3課で構成された。局長は主計中少将、課長は主計大佐が補任された。経理局は陸軍省が第一復員省に改組されてもほぼそのまま残り、最後の局長森田親三主計中将がそのまま局長についた。第一復員省が第二復員省と統合し復員庁に縮小されると内局第一復員局の経理部となった。

医務局
軍医・衛生に関する事項を所管する。

法務局
明治21年11月の官制改正で新たに法官部が設置された。法務局はこの法官部を前身とし明治33年5月に設置された。法務局は課に分けられず、合わせて10数名(昭和11年8月には高等文官5名と判任文官6名)の局員しかいなかった。陸軍刑法その他軍令規の運用及び高等軍法会議及び師団軍法会議並びに各種特設・臨時軍法会議ついて管掌した。初代法官部長の桂太郎・初代法務局長の中村雄二郎は共に兵科将校で、軍として法律部門は扱ったものの、所属する官吏は全て軍人ではなく「陸軍法務官」と称する陸軍文官で軍属の扱いであった。昭和17年4月各部の将校として法務部が設置され、法務中将から法務少尉が設けられ、将校相当官となる。この他法事務将校もあった。陸軍省法務局は省の第一復員省の改編後も残り、復員庁に縮小後も第一復員局法務調査部として存続する。

(Wikipediaより)


 御覧頂ければ分かるように、「法務局」という部署は存在していましたが、「法務課」という部署は陸軍省には存在していません。

 何度か改名されていますが、最初が「法官部」、次に「法務局」、最後に「第一復員局法務調査部」と、「法務課」などという名前は何処にも存在しません。

 誰かが思い出話をしていたという事ならば、言い間違いがあり得るレベルではある訳ですが、どこの面白軍隊が、存在もしない部署の名前で正式な書類を作成するのか、キムチくんには是非とも答えて頂きたい。

 次に、この「北朝鮮製日本陸軍性指令7号」には、「1943年9月“女子勤労従軍慰安婦制度施行方針”と翌年8月“女子精神勤労令”を当時の日本首相と天皇の署名を受けて勅令159号として公表している」事が記載されているらしいのですが、戦前に「従軍慰安婦」なんて言葉はございません。

 「従軍慰安婦」という呼称が使われたのは、1973年、千田夏光氏が出版した「従軍慰安婦」という「小説」が人類史上で最初であり、それまでは、ただの「慰安婦」としか呼ばれてはいませんでした。

 当時無かった言葉が、正式の書類の上で使われているって、何のジョークなんですかね。

 更に、この「北朝鮮製日本陸軍性指令7号」」には、「現地部隊監査によって軍の慰安所を直接設置し、17~20歳の女性たちを“日本軍強制慰安婦”という名目で慰安婦にすることで合意した記録も含まれている」らしいのですが、何処の阿呆が、「強制慰安婦」にするとか司令所に書くのか、無知な私に教えてプリーズ。

 普通、常識的に考えて、頭がカプサイシンでおかしくなってない限り、もう少し穏当な表現を使うように努めそうなものな訳ですが、キムチの国の人には分からないらしいです。

 明治開国から今に至るまで、一度も存在した事が無い部署が、当時、存在もしなかった言葉を使って作り上げた指令書。

 その面白い指令書に、一日も早くお目に掛かりたいものだと、楽しみにしています♪

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南京の真実

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  まず、中程の画像です。豚キムチの背後の無駄なスペースがシュールすぎます。しかも、グラサンで着物。ねーよwwww
  そして、朝鮮人に対する正確な論評。朝鮮人にとっては、現実と妄想の境界がなくなってしまっている、この事実をこれほど端的に、的確に指摘している文章は見たことがありません。素晴らしい。
  
  現実と妄想がごっちゃになっているのが日常的な人ばかりなのですから、おのずからそのブッ飛び具合も高レベルになり、あれだけ多くのカルト宗教が誕生するということですね。
  宗教の教祖になるには、嘘を真実だと思いこませる才能がなければなりません。しかし、朝鮮人の場合、まず自分を騙す必要がない(そもそも言論が真か偽かという基準に客観性がない)ので、努力のロスが少なく、教祖になるために有利だという事情がありそうですね。
2007/08/17(金) | URL | ろろ #2pDzSWe2[ 編集]
>宗教の教祖になるには、嘘を真実だと思いこませる才能がなければなりません。しかし、朝鮮人の場合、まず自分を騙す必要がない(そもそも言論が真か偽かという基準に客観性がない)ので、努力のロスが少なく、教祖になるために有利だという事情がありそうですね。

長くコリアウォッチをしていた訳ですが、この点には気付きませんでした。

確かに、仰る通りですね。

人類学か何かやっている人は、研究してみる価値はあるかも知れません。
2007/08/18(土) | URL | 浪人 #-[ 編集]
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2007/08/17(金) | 草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN